私の友人の木下和子さんの姪の愛ちゃんが、不登校になったという話を聞きました。実は、私も小学生の時、学校に行くのがつらかった時期がありました。でも行かないと人生終わりだと思って、無理やり学校に行った・・・学校に行きたくないという心の声を聴いて、学校に行けなくなった愛ちゃん。私は、どこかで、そんな愛ちゃんをすごいなあと思っていました。私にとって、つらいのを我慢して、やり過ごしたあの時間は、決して幸せではなかったから。愛ちゃんに会いたいと思い、喬木村を訪れました。
初めて愛ちゃんに会ったとき、私の想像に反して、愛ちゃんは友達と元気に遊びまくっていて、私は愛ちゃんと友達の子供たちの溌剌としたパワー、のびのびした感性に魅了されました。それと同時に、こんな元気な子がどうして学校に行けなくなっちゃったんだろう?と心にひっかかりました。そこで、年に数回、木下家に宿泊させてもらい、愛ちゃんと家族の暮らしを撮影させてもらうことにしました。
撮影するにあたって、自分で決めたルール、それは、答えを求めないという事でした。なぜ学校に行けないのか?学校で何が嫌なのか?家族関係や先生との関係は原因しているのか?このような疑問の答えを求めようとして、木下家に滞在したら、愛ちゃんや家族を追いつめてしまうし、本来の愛ちゃんの日常を損なってしまう。不登校の事情は百人百様で、それをほじくることは、私にとってあまり重要ではありませんでした。それよりも、愛ちゃんの友達として、愛ちゃんと一緒に生活しながら、その日常をみつめる。それをあらためて編集することで、子どもといういのちの源がみえてくるのではないか?木下家の客間で叔母和子さんと枕を並べ、二階で愛ちゃんが起きた気配を感じ、朝ご飯を一緒に食べ、愛ちゃんが学校に行っている間は、お母さんに喋りたいことを喋ってもらう。そして、学校には入らず、愛ちゃんが自由に生きられる場で撮影することにしました。
現在、日本全国には約十二万人の不登校の小中学生がいて、小学校では約三百人に一人が、不登校という状態にあるといわれています。当事者である子ども達はもちろん、親達も、学校に行けない事で将来を絶望視したり、周囲から、親の育て方が悪いなどと非難され、傷ついている人は少なくありません。精神的、肉体的にダメージを受けた子ども達はどのようにして息を吹き返せるのか?私は、言葉や主張から解放され、言葉で表現できない感情や空気をドキュメンタリーで描きたいと思ってきました。このドキュメンタリーでは、一人の不登校を経験した少女の成長をたどることで、不登校という状況にあっても、子どもが本来の生きる力を回復していく有様を感じていただきたい。そして、すべての子ども達が自分を卑下したり、自信を喪失したりすることなく、自分らしく生きられる希望を持ってほしいと願って、この作品を制作しました。
幼虫から成虫に変化する、「さなぎ」の間、内部では、幼虫時の器官が一旦どろどろに溶けて、新しい器官が生まれるのだそうです。静かな外見からは想像しにくい、ダイナミックな変容が起きている・・・人間も、大人になるまでの間に、「さなぎ」の時間を必要としているのかもしれません。三浦淳子

 
             
  スタッフ 監督のブログ LINK 掲載情報 問い合わせ
             
  copyright 2014 Tristellofilms